福永あずさウェブサイト踊

はたらかない日は寝てすごすかほぼ呑んでいるフリー編集者・コピーライターの福永あずさの指からこぼれ落ちた曖昧な言葉を記した個人プロジェクトがです。ウェブサイトの後半では大好物の夜と街と人の人生について明日には忘れてしまうような話を書きつづったを数杯ご用意しています

泡をかさねて 01

知らない街の雪の夜、
誰よりも強気になれた。

本当は、あの角を曲がって、食べログで調べたショットバーに行くつもりだったのだ。お客さんがコメントとともに投稿した写真のカクテルは、おいしそうにみえた。でも何だか「夏です元気です」みたいなあかるい顔をしていて、カラフルなフルーツがこんもりトッピングされていて。青森3日目の夜。郊外の鮨屋に出かけたあと、繁華街のカフェバーに立ち寄ったのはいいけれど、全体的につるん、としていて印象にのこらなかったのだ。粉っぽい緑茶ハイと、味のしないお通しを残してしまったもんだから。夜が、どうも締まらなかった。

きゅきゅ。ぎゅぎゅ。いつも、あの角を曲がったら、もっといい店に出会える気がしている。予感はある。だから歩く。得体のしれない「それ」を求めて、ずんずん歩く。ひとりで歩く。地元でも、旅先でも、行きたい店を、スマホにゆだねることはほとんどない。2月の青森でも、ずいぶん人気のない商店街を、サイズの合わないブーツをきしませながら、私は歩いていた。出会ってしまったときは、「出会えた」とほっとする。出会えなくても、「別にいっかあ」と思う。いい店の条件とやらは未だにわからないけれど、すこしの安堵と、「出会えてうれしいなあ」と思う。それが、私にとってのいい店の条件。顔がいい。立ち姿がいい。まわりの空気もいい。それでいて、ちょっと控えめなところがポイントだ。もしかしたら、もう会えないかもしれない。でも、それでいいよね。そういう店を、いい店っていうんじゃないかなと思う。そんな風にして、青森の小さな商店街で「珈琲 フォーション」に出会った...

泡をかさねて 02

母に似たもの

推しは、推せるときに推せ。はて。何のこっちゃ、と思った人は「推し」と呼べる存在に出会っていない人だろう。それは、それでよい。わたしは、出合ってしまった方。おお、自分で自分が信じられない。どうだ。わたしこそが、ある冬の夜、雷に撃たれたように「推し活」にはげみ始めたひとりのオタクであり、ただひとつのからだに、その言葉を染み込ませている。推し、おそるべし。

とある情報誌の取材で出合ったスナック「ルノアール」は、わたしの推しのひとつだった。「お金もうけより心もうけ」を信条とするママは、お店同様、365日休みなし。小さな店だったけど、おすすめのスナックを聞かれるたびにそこを紹介したし、わたしはそこにいる自分が好きだった。名物は野菜カレー。肉は使わない。代わりに使われるのは、こんにゃく、じゃがいも、にんじん、しめじ…すべて野菜。香辛料やスパイスも使わない。「ヘルシーで体にやさしいカレーを食べさせたい」というママの大きな愛が、ルゥにとろんと溶けていた。何がいいって、この「食べさせたい」のフレーズ。そうしてママは、母に似たものとなっていた。...

泡をかさねて 02

金柑の甘露煮と薄い水割り。

生まれた時が、ここがオープンやったとさ。初代は母ちゃん。私の実家。うちはもうここに住んどらんと。家賃はなかとさ。我が家だけんね。じゃばってん、電気代とか水道代は払ってる。弟がね、住んでるっさ。子どもは男2人。娘ほしかったねー。ほしかった。でも、いまも3日に1回は息子から電話がかかってくるっさ。なんか用事やー、いうと、なんも用事はなかーて。いま、運転しながら電話できるやん。店に着くまでに電話かかってくるっさ。したんとが、夏で43歳。うえんとが、45歳。ずっとかわいかよ。ちゅってちゅってしてやっとたい。嫁にもちゃんとことわるっさ私。「お母さん、よかっと」っていわれる。よかっとって、意味わからん? 「いいよ」って意味さ。

あ、水割り、うすかったちゃ?呑めた? 金柑も、おいしか?うれしかあ。家でこれば、ゆっくり炊くとよ。きれいに洗って、お砂糖と、酢と、焼酎も入れて。1時間15分くらい炊くと。あんまり金柑をぽこぽこと踊らせちゃいかんと。適当に買ってきたやつよ。地ものは小さかと。だからあんまり使わんと。...

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